業界よもやま話

Short story

  • 2018年5月15日

政治の責任と個人の覚悟

 我が国がこれから直面する大きな問題といえば、間違いなく少子高齢化に伴う人口減少である。これに関連して懸念を通り越し既に存続の危険水域に達しているのは、これまで日本の誇る社会制度として国民の健康を支えてきた健康保険制度である。

 さらに高齢化社会に備えて介護保険制度も導入されているが、この制度も実効性のある運用が難しくてなりつつある。その対策として継続的な診療及び介護報酬の改訂に加えて、医療と介護の連携や地域包括ケアシステムの実現という政策が多面的に進められているが、それでもこれらの制度を維持するだけの原資がいずれ足りなくなることは明白である。

 

 これらの政策の推進を支えると期待されているのが、情報技術(IT)や人口知能(AI)によるビッグデータやデジタルヘルスの活用である。しかしこれらの有用性は断片的には想像できても、高騰する医療費や介護費の削減にどのように貢献するのかという経済的な効果についてはまだよく見えてこない。

 それは集められたデータで何らかの予測なり方針が示唆されても、それを未病者や患者が受け入れるだけの準備ができていなければ、経済価値が生まれてこないと考えるからである。今流に言えばヘルスケアのエコサイクルが回らない。誰しも自らが納得する治療や介護を受けたいのだから、ビッグデータやデジタルヘルスを理由に説得されても何処か腹落ちしないのではなかろうか?

 ただし、これまで健康保険制度や介護保険制度のない国ならば、国への期待が希薄なだけに自らの責任と覚悟においてビッグデータやデジタルヘルスの活用を受け入れる素地と余地があり、その結果ヘルスケアのエコシステムが回るであろう。

 

 一方、これらの保険制度が社会のインフラとして高度に発達した我が国においては、有用なサイエンスを活用するために早めの政治の出番が必須である。サイエンスだけで納得は得られないし、説得もできないだろう。

 政治に求められているのは、サイエンスの施策への組込みとともに、国は最後まで個人のお世話はできないということを明白にし、同時に何処までならばお世話できますという限界を示すことである。

 国にとっても個人にとっても困難な仕事ではあるが時間の猶予はないように思う。